突然の訃報

作業中携帯に着信。
見ると修行でお世話になった造園会社の先輩から。
話口調から尋常でない様子はピンときたが、内容は「社長が事故で亡くなった」とのこと。


今から9年程前の夏、無職だった私は何の拍子か急に植木職人になろうと思い立ち、「さあどこに勤めようか」と電話帳やインターネットで県内の造園会社を検索。インターネットで引っかかったその会社へ「ここへ行こう」と履歴書を書いて突撃訪問。
社長が「経験は?」
「ありません。」
「木は好きか?」
「これから好きになると思います。」
そんなええ加減な返答であったのに、「まぁいっぺん来てみたらええわ」ということでお世話になることに。
後で聞くと当時とても新しく人を雇うという状態ではなかったそうですが、ほぼ二つ返事で入門許可を頂き、私の植木屋人生がスタートしたのであります。

今から思い起こしてもいちいちが新鮮でした。剪定の個人邸に入る、工事の現場に行く、いちいち緊張し緊迫したものでした。

それなりに要領を得てからの私は面倒臭い気儘なヤクザ者でした。
会社のやり方に気に入らないやら、給料が安いやら、何かと文句付けるようになっていました。

ある日自分に調子乗って社長に「独立さしてもらいたいんですが」。
いくら私のようなものであれ猫の手も借りたいような忙しい時期、私も返す言葉覚悟で挑んだところ、あっさりニッコリ「お前がそう言う日が来ると思ってた。やれるだけやってみろ。どうせあかん言うてもきかんやろ。」と。
あっさり独立許可を得た次第です。

「親の心子知らず」で、私も従業員はとても抱えれないものの、一人親方になってみて初めて実感する点は多々ありました。

当時は給料が安いとボヤいていたのが、その給料を払うということがどんなに大変なことか。職人を養うために絶えず仕事を取ってくるなど。マジで大変なことです。まして俺一人やないですし。

社長は社長でした。
いわゆる植木屋の親方、というよりは「造園家」といった人でした。
社長の造る庭は凄かった。
勢いも力も静寂も遊びも全部あった。
それも説明受けなくても解るくらい。
解りやすく奥深く。
物腰は柔らかいものの、社長の頭の中にあるものを形にするまでは頑固な姿勢で繰り返し丁寧にたまには厳しく私たちに向かってこられたものです。
本当に偉大な造園家でした。

今、私は植木屋として、独立しなんとか生活できるようになりつつあります。
もちろん今後も植木屋としてチビチビながらもガンガンやっていくつもりであります。
本当に天職をいただいたかのようにのびのび好きにやってきましたが、その全てのきっかけが、社長の「まあいっぺん来てみたらええわ」やったんです。

私もあなたの稀な血を引いた人間です。門下生です。誇りに思います。
大して木の名前も知らなかった私が木を好きになり、この仕事を好きになり、やりがいを感じ、終の仕事とすることができたのも、全てあなたの下で修行させて頂いたからです!

社長、今の俺、我が家があるのはあなたのお陰ですよ。

逝くの早過ぎますわ。
「社長!俺こんな庭造りましてん!ちょっと見とくなはれ!」
そんなこと言うて見たかった。

あなたにいただいたこの技・魂を宝に武器に、植木屋人生ガンガン行きまっせ!

社長!ほんまにほんまにお疲れ様でした!